いらっしゃいませ、私のブログヘ

引越しします。

Monday, December 31, 2007

あけましておめでとうございます

寝正月? それともいい初夢を見てるのかな?

今年はねずみ年ですね。本当は、あまり得意な動物ではないのですが、この写真があまりにかわいくて。ねこだけじゃないんですね、かわいく我を忘れて寝るのは。

昨年はホームページ(と言うより、ブログといった方がいいかな?!)を始めることができてよかったです。このおかげで自分の生活のリズムも出てきました。ありがとうございました。今年は膝の手術ができることを期待してます。前、ドクターに会ったときはできるといってましたが、結構あちこち曲がっててそれをどうするか、なんて考えてます。

日本が恋しいでーーす。年のせいかな?! 特に年末年始になるとそう思います。日本に行きたい!!! ビリちゃにがんばって稼いでもらいましょう。

久しぶりにアメリカ人の友達と連絡が取れたので、彼ら用に英語でもブログを書きます。推敲はしませんので、読まれる方がいたら、間違ってることもいっぱいあるので参考にしないでくださいね。

A Happy New Year!!!

It’s been for a long time. It is the year of rat. I don’t care rat too much, but there are some cute pictures on the internet. I’ll put some more pictures next few days on my blog.

I started my blog last August. Oh, by the way, I had two surgeries last year, January and April. The first one, doctors took myTMJ joints because they were affected by arthritis. I couldn’t open my mouth. The second one, they put new artificial joints back to my TMJ. Now, I can open my mouth wider than before.

Hopefully, I’ll get another surgery for my knees this year. I’ll let you guys know when.

I hope I will keep up with you guys.

P.S. For my convenience, I don’t ask Billy to edit my English. I don’t want to take time to put my blog because of editing. Thank you. I'm very happy to contact with you guys again through this blog.

Sunday, December 30, 2007

今年もお世話になりました。

今年のヒット、「見つかったよー。こっそり一人で食べようと思ったのに、、、ピザ」

早いものです。今日はここでは1230日。きっと、日本で朝おきてこれを見る人は31日なんでしょうね。大晦日、大好きなんです。でもここ12年アメリカで過ごしているのでおいしい料理は食べられません。悲しいーーー!!!

昨日、お母さんのところから帰って来ました。結局、リンダのところと私たちのところだけでしたが。今日はカメラが調子悪いので写真は載せられませんが、26日に雪が降りました。

興奮したお母さんは、電話をして、

「そうよ、雪が降ってるの。吹雪よ、吹雪」

北国育ちの私には単なるわた雪。(すぐ溶けるよ)と、私。もちろん心の中で。お母さんの家は急な坂の下にあるので、少し雪があっても車は坂を登れない。雪には慣れてるビリちゃが、

「大丈夫だよ、すぐに溶けるから」

でも、誰も耳を貸さない!!! リンダの夫が飛行機で帰るので、あちこちにあわてて電話するお母さん。でも、ご安心を。ビリちゃの言ったとおり、4時過ぎにはすっかり溶けて、雨でも降ったようでした。

Monday, December 24, 2007

年の暮れ??

来年はネズミ年だってね。うまそうね。だめだめ、見張ってるだけよ。でも、たまんないわ。

メリークリスマス。

アメリカにいるのに、ぜんぜんクリスマスって雰囲気じゃない我が家です。昨日はビリちゃの誕生日でした。おめでとうでした。でも特別なことはしませんでしたが、、、。

この数日、なんか調子が悪かったんです。おなかをこわし始めたのが3日前。

「変なもの食べてないよね」とビリちゃと確認しあう。

夜、鼻で息ができない。眠れない。おとといは3時まで起きてたの。「おかしいな」

昨日、クシャミ。「かぜ引いたんだ」と、やっと気づきました。そういえば、ともくの友達のジョーダンがクシャミしてたので、「おい、かぜ引いてるの? うつさないでよ」みたいなことを言ったのが先週の月曜日。 でも、熱も無いのでよかった、と言うことに。これで少しは風邪の免疫ができるかな、と。

今日は、ビリちゃは少し仕事があるけど、昼ごろには帰って来るので、そしたら、ビリちゃのお母さんのところへ行くつもりです。ここから車で、止まったりするのも入れて、4時間ぐらいかかります。明日、お姉さんのリンダの家族が、あさっては弟のスティーブたちが来ます。

皆さんが考えてるような派手なことはなく、プレゼント交換もなし。子どもたちにだけです。みんなで過ごすことがメインです。

写真を撮ろうと思いますが、なんか電池が古くなり、今新しいのを注文して待ってるところ。自分専用のデジカメ、ほしいな。

Saturday, December 22, 2007

もうすぐクリスマスですね。

                    「あぁ、しんど」      こんな人いませんか?

メンフィスは驚くほど寒くありません。寒がりの私としてはうれしいです。そうですね、この数日は145度くらいかな。あさってあたりから少し寒くなるといってますが、それでも10度はあると思います。相変わらず、北のほうでは寒い冬のようです。がんばってね。

ともくの高校は、といってもメンフィスの小、中、そして高校は先週の木曜日が最後の日で、冬休みにはいりました。しかも、その日は半ドン。来ましたね、友達がいっぱい。半ズボンで来る子、はだしで来る子、こういうのを見ると、

「アメリカ人だな、、」

と思ってしまう。

「寒くない?

「うー、ちょっとね、へへへ」

ほとんどが高校3年生ですが、去年卒業して大学にいってる子も来るわけで、半分大人、体は大人、自分では全部大人と思ってる子たちですが、私に言わせると、やっぱり子どもだなと。その日は何人とまったのか。あの狭い、汚い(私には)部屋にどうやって寝たのか、私はもうそんなことは聞きません。

「部屋、片付けてよ。片付けるって言うのは、まずゴミをなくすことよ」

「でも、おれの部屋が一番きれいだよ。サムとか、ニックの部屋なんか、床が見えないよ」

「人と比べないの。家には家のスタンダード(標準)があるんだから」

と、こんな会話を部屋の掃除のたびに交わしてるわけです。かなしー!!! 風邪を引いてるやつもいて、ともくもおとといあたりからくしゃみしてた。そのいえば、私もおとといあたりからなんか具合が、、、。気をつけないと。

クリスマスもすぐですが、今年はビリちゃのお母さんのところへ。アメリカのクリスマスは、私に言わせると、ストレスがたまるじゃないかというほど異常です。プレゼントの山、です。初めてここでクリスマスを過ごした、あれは16年前、子どもたちだけでなくみんなに、プレゼントがいっぱい。部屋中プレゼント。びっくりしました。それで、破産する人もいるとか。誰に何をあげるか、いくらかかるかで、私はすぐストレスになりそう。

我が家はクリスマスツリーはありません。いつか、ともくが

「プレゼントは、ゲーム。Wiiとか、プレスてがいいな、、」と、夢を見てるので、

「あんたは日本にいけるでしょ、夏休みに。それともそれよりクリスマスにそれを全部使ってしまいたいの?

ともくもそういうもんだと思って育ってます。日本が大好きなので。今年はプレゼントの交換はしないと言うことにしてます。よかった! 子どもたち(姪や甥たち)は別ですが、赤ん坊の二人にはぬいぐるみとふかふかのブランケット。8才の女の子には、本屋のギフトカード。男の子たち(17才から21才)にはお金と言うことに。アメリカでもこんなに質素にクリスマスをやってるところもあるんですよ。みんなと一緒に過ごすのがいいんですね。まぁ、みんなといっても、いつものビリちゃの弟とお姉さんの家族だけですが。今はみんなばらばらに暮らしているから、会う機会が少ないので楽しみです。

今日は22日。そういえば幼なじみの誕生日です。そして明日は、ビリちゃの誕生日。小さいときから、クリスマスイブの前日が誕生日で、誕生日に特別何か、と言うことは無かったと。あまりクリスマスには執着してませんね、ビリちゃも。

日本の皆さんは、これから暮れにかけて忙しい日が続くんでしょうが、ゆっくりやってね。ストレスためないでください。自分を大事に。

きょうもありがと。

Tuesday, December 18, 2007

今日は記憶のお話をちょっと。





近頃寒かったり暖かかったりです、メンフィスは。それでも北のほうでは吹雪だ、アイスストームだと厳しい冬のようです。オクラホマでは、一週間前の氷の雨(ここではアイスストーム)で、いまだに停電のところもあるとか。寒いでしょうね。がんばってますね。今日のメンフィスは曇ってますが、それでも12、3度にはなるそうです。前にボイラーをつけようかという話をしましたが、実はやめました。電気ガス代が高い。毎年光熱費が冬は3万円はくだらない。あまり裕福じゃない我が家はつらいです。それで、もう一つ大きめの電気ストーブを買い、それを使ってます。寝るときは足が冷えるので、ほっかほか座布団じゃないけど、電気で痛いところを暖める小さい(たて15センチ、横25センチくらい)パッドを足のところに敷いて寝てます。結構いいですよ。

さて、しばらく書いてませんでした。今年のはじめ、1月の手術以来、リビングで自分の生活をしています。寝るのも、コンピュータを使うのも、リビング。誰かがいると集中できないタイプなんです。それにリビングは2部屋になっていて、その間にドアがあるので、私のコンピュータのテーブルを引っ張ってこないといけないんですが、一人ではまだちょっと。母はこんな私を、まだ3才だからとからかいます。(この冗談はちょっと難しいかも、手術の後、一人で身の回りのことがなかなかできず、やっとトイレに一人で行けるようになった私を、やっと3才くらいになったね、と。冗談の塊です、母は。痛くてやっと歩いてる私を、ロボットのようというのには、私も自分のことながら大笑いでした)こんな毎日で冬眠しそうになってました。書きたいことはいっぱいあるんです、もち、独りよがりの興味でですが、ははは(つらいなぁ)。

きょうはNational Geographicと言う雑誌にあった、面白いと思った話をします。この雑誌はアメリカでは一流といわれ、話題は科学に関することなら何でもありです。この雑誌は、ビリちゃが前働いていたところのお母さんが、クリスマスプレゼントにと我が家に毎月送られてきたものです。でも残念なことに去年、82才でがんで亡くなりました。

今回は「記憶」についてです。なぜかこの話題には興味があります。
ここで、二人の人を紹介してます。一人は今までのことをすべて覚えていると言う女性。もう一人は、ヘルペスのため短期記憶を行う脳が無くなってしまった男性の話。二人とも、脳学者たちが長年にわたり研究を続けているそうです。

まず、すべてを覚えていると言う彼女の話。私なんか、昨日のことも忘れてるのに、彼女はすべて覚えているそうです。そこで面白いと思ったのは、毎年決まったころ同じような気分になるというんです。そこで私もふと(そういえば、誕生日11月23日です、念のため、から新年にかけてなぜか具合が悪かったな。25才のときはおたふくで入院したし、19のときは腹膜炎)。12月ころになると、気分が落ちるんです。年末年始は嫌いだった。なんとなく一人で納得。皆さんも思い出してみてはどう?
そして、彼女は悪いこともいいことも全部覚えているわけです。いい記憶はいい気分にしてくれますが、悪い記憶は、後悔の念とかで自分が許せなくなるそうです。しかもしっかり覚えていますから、自分をかなり責めるとか。これはつらいですね。私も失敗だらけで、ちょっとでもいやなことを思い出すと、もう心がぼろぼろになります。結構自分を許せないってことありますよね。忘れるっていいことだと思いました。必要なことなんだとわかった。どうでしょう?

もう一人の男性は70を過ぎています。写真では80くらいに見える。短期記憶が無いんです。短期記憶というのは、例えば今タイプをしていますが、ねこが鳴いて、そっちを見ても、私たちは普通タイプしてたことを忘れません。明日になったら、タイプしたのとねこが鳴いたのは忘れてるかもしれませんが。この短期記憶の無い人は、ねこが鳴いてそっちを見たら、それでもうタイプしてたことさえ忘れると言うことです。今誰かにあって「初めまして」と言って、他のことをしたらもう「初めまして」は忘れてると言うことです。短期記憶があって、新しいことを学び、それを長期記憶にもっていって貯蔵するんです。年が行くと貯蔵もそれなりに多くなり、思い出すのが大変になると言うこと。ほら、引越ししてきたばかりのころは物が少なく何があるかわかるけど、しばらくすると物が増えてどこにあるのかわからなくなりますよね。あれと同じようなことだそうです。
ですから、朝ごはんに何を食べたか忘れるのはいいんです。でも、朝ごはんを食べたのさえ忘れるのはちょっとね。この男性は、朝ごはんを多いときは3回食べるそうです。
短期記憶が無いから、学習できないと思いました。ですが、もう一つおもしろいことは、こういう人も知らないうちに(まったく文字通りですね)学んでるんです。定期的に、脳を研究する学者がこの男性に同じ質問をしています。クイズみたいなもので、鏡を見ながら迷路のようなものを解くんです。彼にしたら毎回初めてのことです。研究者が来るたびに「初めまして」から始まります。そして同じクイズを毎回します。そこでわかったことは、クイズを解く時間が早くなっていると言うこと。他の例では、これは私が大学で心理学のクラスをとっていたときに、教授が話してたんですが、ある研究者が会うたびに手に画鋲のようなものを持って握手をするんです。「初めまして」って。すると、「あっ、痛い」と言うことに。でも記憶がありませんから、会うたびに「はじめまして」「あっ、痛い」の繰り返し。すると、そのうち、「初めまして」と手を出していたのが、なかなか出したがらなくなるそうです。でも本人はわかってないんですが、学習してるんですね。何かあるぞって。
当然自分のことも忘れてます。ある日、研究者と散歩に出ました。同じコースを歩きます。はじめは妻が心配して付いていきましたが、必ず戻ってくるので、今は一人で散歩してるそうです。彼は覚えていなくても、何が、どこが安全かわかっているそうです。直感って大切なんですね。彼は直感で生きてるんだなって思いました。だから挨拶も、自分では知らないと思っても、安心できる人にはするんですね。私も自分の直感をもっと大切にしたいと思いました。散歩の終わりころ、車が止まっていて、自分の顔が映ったとき、この男性は「ふん、老いぼれか」ってもらしたそうです。でもその“老いぼれ”は自分の姿なんですね。ちょっと笑っちゃいました。皆さんも笑ってくれるとうれしいです。
じゃまた、
付き合ってくれてありがとうでした。

Friday, December 7, 2007

ビデオで楽しもう、大きいねこの好きな方、どうぞ!

昨日、テレビであのトラのお母さんと同じケースの話しが出ていた。違うのは、子ブタたちのお母さんが子ブタの面倒を見れなかったから、トラのお母さんが面倒を見てると言う。マレーシアって言ったかな?! (すみません、はっきり覚えていない!!)トラのお母さんが子ブタをかじって怒ってるのも見せてました。「だめよ、そんなおいたしたら」って。

トラの親子!?

これは写真のほうがかなりいいですね、ビデオよりも。

もうご覧になった方もいるかも。これはコロンビアの話で、子供のライオンが栄養状態が悪いのを助け、面倒を見てよくなったところで動物園に受け渡したと言う話。そのお世話をしたちょっと年のいったお姉さんが6年ぶりにそのライオンに会いに行ったときの様子。

ライオンと恩人の再会

感動しました、私。抱きしめる手(前足???)に力がぜんぜん入ってない!!! いいよね。ねこ好きな私としてはたまらない。私が代わりに抱き合いたかった!!!

Friday, November 30, 2007

近況報告

寒いです。
考えてみるともう明日から12月なんですね。
光熱費がもったいない、と本当に寒くなるまでボイラーをつけるのをケチってましたが、今夜はつけようと思ってます。

今年は何も考えずに、生きたような気がする。
手術があって、痛いの痛くないのってで8月まで過ごし、8月下旬からは痛みが楽になり、ブログを始めた。
なんと言っても今年のヒットは、まず母がアメリカに来てくれたこと。
その次が読書を始めたこと。

読書は私のたった一つの楽しみだった。本を読んでいるととにかく心が躍る。もちろんどんな本でもいいというわけではない。どちらかと言うとノンフィクションが好き。本当にある、と言うのが興奮するひとつ。
日本にいるときはただ読んでいた。何も考えてなかったな。
アメリカに11年前に引っ越してきたとき、ビリちゃのお姉さん、と言っても私とひとつしか変わらないが、彼女が面白い本を紹介してくれた。
あとは、ミステリー、サスペンスをなめるように読んだ。
その中で面白かったのが臨死体験の本。あまりの面白さに翻訳まで考え、作者3人に許可を取り、日本の出版社にまで送ったが、なしのつぶて。

そこであきらめたころ、大学で日本語を教える話があり、98年の秋から。日本語教師は足を洗ったつもりだったが、なんといっても仕事がない。それに英語に自信もないので他の仕事をする自身が無い。
そのころ読書が心の栄養だったわけです。和むんです。テレビなんて見たことがなかった。

2000年から大学院に行くための準備を。なんと言っても大学を卒業してから20年以上もたっているので新しくとらないといけない授業もあって、心理学の授業をとった。人の考え方とか、心の中に興味があったので、単純に心理学にした。それに臨死体験ももっと知りたかったから。

大学院に行き始めたのが2002年の秋。授業についていくのがやっとでした。
とにかく教科書を読むのが、理解できない。自分がいかに無い物ねだりをしてるのか、と自分の馬鹿さかげんに泣いた。そのころから余暇に本を読んで和む、と言うことができなくなった。
それから今年までいわゆる楽しむ読書をしたことがなかった。

だから今本を読んで楽しい、と言うことがうれしい。10月の下旬から始めた。始めはなかなかページが進まず、1冊読むのに、2週間かかった。今3冊目を読んでる。

面白いので、少しずつおすそ分けしていきたいと思ってます。
じゃ、今日はこれで。
付き合ってくれてありがとう。

Wednesday, November 28, 2007

寒くなってきました


久しぶりの写真です。先週は感謝祭(Thanksgiving)で、ビリちゃのお母さんのところへ。
木の葉っぱがすっかり落ち、向こうに湖が見えます。いい天気で気持ちがいいですが、寒かったぁ。

去年の暮れは、ビリちゃの弟ががんで手術、1月は私の手術と忙しかったので、みんなが集まるのは久しぶり。しかもみんな離れているので。今回は全部で19人でした。久しぶりなのでうれしいけど、いっぱいいるので、ちょっと疲れました。しかも、土曜日は結婚式があり、2時間以上ドライブしてみんなで参加。その日は雨で寒かったです。食事のバーベキューがおいしくて、お代わりしました。うまかった、満足。帰りは眠りこけてました。

日曜日に帰ってきました。雨でした。
月曜日は疲れて、何もする気になれずで、本を読む。
火曜日は、一日中本を読み、夕方からイラストロジックを、、、ちょっと恥ずかしい。
今日は、朝8時に血液検査で出かけたのに、書類の関係で帰され、私のプライマリーケア(保険会社が決めた私のお医者さん)のところで血液検査を12:30に。疲れた。帰ってきたのが2時半でした。

今日も何も書けないのは、いやなので
「お元気ですか。私も元気よ。明日書きますよ」
のご挨拶のつもりで今書いてます。

と言うわけでまた明日。

Monday, November 19, 2007

眼科に行ってきました。

今日は眼科に。この67年、老眼(グスン)が進みそれは仕方ないとして、世界が二重に見える。これ、乱視って言うのかな?!

テレビが好きで寝ながら見るが、首の位置でテレビが二つ見える。二つが重なると何がなんかわからなくなるので、二つが離れたところで首の位置を決める。神経質なのか、はじめはこれが気になって仕方なかった。

本を読むのは大変だ。透明のシートに本のページを想像してほしい。ほら、オーバーヘッドプロジェクターに使う、あの透明のシート。本を読むときそれが2枚ちょっとずれて重なって見える感じ。片目をつむるか、白い紙で1行ずつ読んでいく。もち、首を傾げて。だからよほど興味のある本じゃないと読む気になれない。(口実??

今はかなりあきらめているが、完全にあきらめる前に何かいい方法があるか、と眼科へ。

結果として、二重に見えるのを直すことはできないと言うこと。ドクター曰く、ちょっと笑ってしまったが、

「いいほうの目で読むようにしたら? (海賊の親分みたいに)一方の目にパッチして」

おいおい、そんなことしか言えないの? 博士じゃん。でも、本当にそう言ったんです。

おかげさまでこれで生きていく決心がつきました。きれいな花が見えるだけでもいいもんです。お疲れ様でした。

Friday, November 16, 2007

忘れてはいけないこと

今朝、寒かった。
私は北国で育ったが、メンフィスに来て4,5年でこの暖かさに慣れてしまった。
冬の日本はつらいかも。

それにしても寒いといっても、室温は19度はある。
電気ストーブの前に陣取りひざに毛布をかけてすごす。
私の前にねこがすわると、ストーブの温かみがあまりこない。

そのせいか今日は体がいつもより痛む。
(いやだなぁ、まだそんなに寒くもないのに)

そこで
(あっ、そうだ、忘れてた!!!)

そうなんです、昨日薬を飲むのを、特に痛み止めを飲むのを忘れてた。
こんなことはめったにないのに。
で、朝一番にのみました。
お騒がせしました。少し楽になりました。

近頃は本を読み始めたので、楽しいです。
仲間ができたようで。今日もがんばろう!!(何を??)

きょうもよろしく、ありがとう。

スケートボードを楽しむ犬

YouTubeにブルドックがスケートボードをしているのが人気を集めている。
ご覧になりたい方はどうぞ。

リンク集にあります。

この犬がトーク番組に出たので見たら、本当に好きでやってるそうだ。
飼い主は教えることもなく、犬が自分で覚えたと言う。
バランスをとったりしてるのがよくわかる。

番組中に飼い主がボードを持って話していると、犬が
「わん、早くボード返してよ」
と、そういう風に私には聞こえた。

ボードを渡すと、早速前足、後ろ足一本ずつのせ、走り始める。
かわいかったので、YouTube からどうぞ。

Wednesday, November 14, 2007

メンフィスのこのごろ

久しぶりの写真です。買い物に行ったときの駐車場の木の紅葉 きれいだった。

今日のメンフィスは荒れている。寒冷前線が来ると雨になりやすいが、外は真っ暗で風がすごい。そこへピーポーピーポーとパトカーかなんかの音。不安になる。ひとりだからかな? 本当はこういう天気は好きなんだけど。きっとみんな出かけてるから心配なんだ。

ともくが友達と3人で帰ってる。珍しくにやにやして、

「いい天気だねー、じゃ早速出かけてくるよ。すぐそこだから、大丈夫」

心配する私をよそにそそくさと行ってしまう。ま、いいか。

このごろの私は、やりたいことがあるのについ締め切りがないので、あと伸ばしになってしまう。たとえば新しく作ろうとしてるホームページの作り方の勉強。それに載せる記事の作成。やることはいっぱいある。コンピュータが調子悪くなって直していた23週間のうちにやる気がそがれてしまった。

でも、本は読んでいる。この数年本が読めなかった。大学にいってたので、教科書は読んだ。読むのは好きなので、教科書もそれなりに楽しかったが。今読んでいる自分がうれしい。

以前は読書が趣味で、仕事を終え家に帰り小学生だったともくを迎えに行くまで、本を読むのが私の楽しみだった。多いときは週に一冊は読んだ。

好きなのはノン・フィクション。心の栄養と私は呼んでいる。読み終わったら、少しずつ紹介していきたいと思ってる。よろしく。

これを書いていたら、電話が来た。ともくだ。

「大丈夫だからねって言おうと思って。じゃ、」

こんなこと書いてるなんてわかったらなんて言うかな? でも、ともくを小さいときから知ってる方々へのご報告と言うことで。近頃会話少ないから。十代の子はやはり難しい。親のほうが大変だって言うのがわかった。私は一人しか子供がいないが、この日が来るのはわかっていた。でもそれが私の具合の一番悪いときと重なったのですごくつらかった。誰もが通る道だ。反抗期は大人になる前に必ず通る道。これがないとうまく成長しないって言うしね。

今日も、私の独り言に付き合ってくれてありがとう。

Tuesday, November 13, 2007

ちょっと重い気分の日

テレビで、日本の漁師がイルカを捕獲し、その処理をしている。その海辺は血で赤く染まっている。そこへイルカを守る団体と名乗るアメリカ人たち45人がサーフボードに乗り、猟師たちに訴える。

「イルカを殺さないで、頭のいい動物なんだから」と英語で。

猟師たちは

「仕事だぞ、邪魔するな」

と、日本語で言いながら長い棒でサーファーたちをつつく。二組の意見がいつまでも平行線なのは、その言葉だけでなく、目を見ればわかる。言葉は通じなくても、話は通じている。

いつか他の番組で、やはり日本の漁師がイルカを殺すところを見せた。それはアメリカ人のカメラマン。彼は何年もイルカを守ることを訴え、ドキュメンタリーを作った。そこの漁師は終いには漁師を辞め、イルカを観光客に見せる、と言う仕事に変わった。ほっとした。

私はイルカが好きだ。嫌いな人なんかいるんだろうか。でもこれをアメリカで見ているとつらい。いくらここで暮らしていても、私は日本人だから。日本人だからは日本のことが悪く言われるとつらい。これはどの国でも同じじゃないかと思う。

気の弱い私は心の中で、

(じゃ、中国のサルの脳を生きたまま出すレストランはどうなるの?

(韓国の犬のレストランは?

(エスキモーたちは今もアシカとかとって食べるよ)

(牛肉は? 牛だって頭のいい動物よ。毎日、いっぱい殺されてるよ)

解決法が見つからない。苦し紛れにこう言うしかできない。挙句の果ては人間の罪深さを嘆く、いや欲深さと言ったほうがいいかも。

暗い話でごめんなさい。それでも付き合ってくれてありがとう。

Saturday, November 10, 2007

母のアメリカ、初体験

昨日は父の話だったので、今日は母の話をしたい。

私の両親はアメリカにきたことがない。父が来たいといっても、母が、うん、と言わなかった。父は一人で来る勇気がない。

今年の春、初めて母がアメリカに来た。81才。私の2回目のTMJ手術の前に来てくれた。手術まで2週間。母は何も言わなかったが実は時差ぼけになってたらしい。自分でも何がどうなってるのかわからなかったよう。人に心配させぬよう、そういうことは言わない人だ。そのころお昼過ぎになると散歩に出た。大体15分ぐらい。ところがその日15分を過ぎても帰ってこない。私は変なところだけ勘がいいので、すぐに(あっ、迷子になったな)とわかった。

ともくに近所を見てきてもらう。いない。30分位して白いバンが家に前にとまり、母が出てきた。さすがかあさんと思った。

「ハイスクール、ほらこの辺にハイスクールあるじゃない、誰もわかんないのよ。 英語で話してるのに、ほらハイスクール、って言ってるのに、英語よ」

言葉が通じない。(今日の晩ご飯はハンバーガーでもいいや)母はもう泊まる覚悟ができていたと言う。

でも言葉が通じないのに、車で帰ってきたのが不思議だった。母に聞くと、

「ほら、車のハンドルを回すようにしたから、私も同じくハンドル持つまねして、OKって、レッツラゴーってさ(古いジョークです、ごめんなさい)、車で探してくれるっていうんでしょ」

運良くか、偶然か、まぁ世の中に偶然はないという人もいるけど、とにかく前の晩、嫌がる母さん(ビリちゃは知らないけど)をビリちゃが買い物に連れて行ったとき、家の周りをドライブして、

「あのお、かあさん、これがともくの行ってるこぉこ(高校)です。そしてぇ、私たちのうちは、すぐそこヨ」

と見せたと言う。それで高校がわかれば、我が家もすぐわかる。だから、「ハイスクール」を連発したのにわかってくれない。一体なんとなっておるのか。英語だぞ! と母君は納得がいかなかったらしい。

話を聞いてみると、母はずっと一生懸命説明した、日本語で。私は、(負けた、君はすごい!)と心底思った。私が初めてアメリカにきたときは、少しは英語が話せた。でもいい振りがしたくて何も言えなかったと思う。それが、「イエス、ノー、サンキュー、バイ」しかわからない母が、車で帰ってくる。しかも意思の疎通が十分にできていた。

「ハイスクール」の発音が英語じゃない、とわかってくれるまで時間がかかったが、わかってから、しばらく一人で「high school」とつぶやいていた。「high school」だけは英語らしく聞こえるようになってる。

母を尊敬しなおした。

Friday, November 9, 2007

11月9日は父の誕生日

塀の向こう、何があるんだろう。

今日は父の誕生日。亡くなったのが109日。今年は十三回忌だった。

人は誕生日の近くに亡くなるというのをどこかで聞いたことがある。私の身の回りでは、祖母が3月生まれで3月に亡くなった。父は誕生日が119日で命日が109日。面白いのは父の一番上の兄だった、おじさんだ。彼は誕生日と命日が同じ日、314日、しかも同じ酉年。84歳だった。

こんな話はしたくないが、父と私は仲が悪かった。まるで敵同士。父はしらふの時は口数の少ない人で、背が185センチもあり怒ると大きい声を出すので怖かった。でも私はそんな父を怒らせて喜んでいた。ほら、私たちは敵同士だったから。私がまだ7才のころ、詳しくは覚えていないが父が私をすごく怒って、追いかけて叩こうとした。私はへらへら笑い、外へ逃げた。父が私をはだしで追いかけて来ようとしたとき、祖母が

「そんたちぃせ子,追っかけて、親の癖に,,,

と言われ、追いかけるのをやめたと言うことがあった。

父が大っ嫌いだった。友達が父親が好きなんていうと、驚いた。そんな父だったが、孫には優しかった。ともくも父のことが大好きだった。

そんな父ががんになった。わかったころにはもう手遅れで何の処置もできない状態だった。今後悔してるのは父に本当のことを言えなかったこと。

父はアル中だった。私はそう思っていた。手術の後飲めなくなった。飲んじゃいけなかったんだね。父は真剣に治りたいと思い、酒をやめたんだ。見ていたらかわいそうになった。生まれて初めての父への思いだった。

そこから私と父の敵同士の憎いという気持ちがなくなっていった。私は父にハンドパワーをした。初めは父も「そんたごと」と言って信じていなかった。父はカトリックを盲目的に信じてた。自分の兄が教会で働いていたので、母とけんかすると、「おめぇは天国さいげねや」と意地悪なことを言った。その父が毎日私が帰ってくるのを夜遅くても待っていた。


「これをすると痛みがすごく和らぐ。一日24時間のうち、1時間でも楽になるがら、ありがで(これはミスプリではありません、念のため、東北訛りなんです)」

こういうことがあって、私たちは精神的にぐっと近くなった。血のつながりってやはりすごいと思った。その父の亡くなるまでの2ヵ月半で私たちは40年以上の骨肉の争いを何の残りもなく終えた。父が今はあの世で、アル中を卒業して、平和に暮らしていると信じている。死んだら父に会いたい、会えると信じてる。

今日は少し重い話でしたが、付き合ってくれてありがとう。

Thursday, November 8, 2007

リウマチと私、エンブレル#9

ビリちゃの造ったガジボと風見鶏。我が家ではありません。

早いものでエンブレルをはじめてから9回がたった。アメリカでは一週間に一回、50ミリの自己注射をする。痛みが楽になっただけかと思ったら、次から次へといろんなことがある。

使い始めて二日目には、痛みがかなり楽になった話はしたが、私はそれで喜んでいたし、それ以上は望んでいなかった。ところが右手で右の耳をかけるようになった。その日は早速ビリちゃにやって見せた。そしてある日、朝起きて思いっきり伸びをしている自分に気がついた。こんなことはもう何年もしていなかったなぁって。気持ちよかった。

最近は頭も回ってきて、依然私の大好きだった空想ができるようになった。車で長時間乗ってるときもそれで楽しい。ごみを落としても泣かなくなった。落ち込むこともない。やりたいことが出てきた。本も読み始めてる。画期的なことだ。

50を過ぎても“改善”と言うか“成長”があるんだなと思った。生きてる限り前進あるのみ、かな。

Wednesday, November 7, 2007

アーカンソーでのおバカンス

ビリちゃの弟。Wiiをやってるんです。趣味の多い人で、つり、ゴルフ、自転車、といそがしい。アーカンソーに来ると、朝一番からビリちゃと釣りバカしてます。


ビリちゃの弟のガールフレンドと娘。できないと思ってた子供が十年たってできたんです。影で私たちは「誰の子供?」(もちろん冗談で)と。私の母が今年初めてアメリカに来たとき、この子に会って「かわいいね」といってた。オムツを取り替えるのをチラッと見て、一人で大笑い。「あっ、女の子だったのね」 そのせいか、それ以来ピンクの服ばかり。料理があまり、、と思ってたけどそうじゃなかった。ビスケットという南部のパンがある。おいしい。お母さんが焼いたのはカリカリしてて、それなりにおいしかった。彼女が焼いたのは、フランスパンのように、外が適度にカリカリ、中はふんわり。「エー、これが同じビスケット???」バターと蜂蜜をかけて食べる。うまかった。お母さんにはヒミツ。


今回はともくの親友たちも一緒。週末は必ずといっていいほど三人のうちのどこかで遊んでる。ここでは散歩したり、射的場に行ったり、体を動かして遊んでた。よしよし。いつもは部屋に閉じこもり、ゲームしかやってない。十代の反抗期なのでちょっと扱いにくい。挨拶も何もなかったが、来るたびに「いらっしゃい、今日は学校どうだった?楽しかった?」帰るときは「もう帰るの? また明日ね」初めは返事もなかったが、今はあっちから「ハーィ(来るとき)、バーィ(帰るとき)」と言うようになった。左の子は結構長い時間我が家にいるが、落としたものを拾ってくれたり、水をこぼすと拭いてくれたり、飲み物を冷蔵庫から持ってきてくれるまでになった。よしよし。

車中でこっそり話しているのが聞こえる。

「おれなんか、ダディと話してるときは、うんうん、あっそうか、はぁ、へぇーって相槌打ってるだけだよ。それで喜ぶんだよ」

聞いてないふりをしてたが、思わず噴出しそうになる。人のことだから笑えるんだよね。

私はいつも本を持って行ったりするが、何もできない。一日中食べて飲んでトイレ行ってテレビ見てるだけ。おバカンスの意味がわかるでしょ? 老後はここで暮らそうとビリちゃの姉妹と話してます。そうするつもりだけど、ボケないように気をつけようとも思ってます。

今日も独り言に付き合ってくれてありがと。

Thursday, November 1, 2007

エンブレルの効果

ビリちゃのお母さんの住んでいる、お隣の州、アーカンソーへ行ってきたときに写しました。青空がきれいだ。
「森と泉に、かーこーまれて、、、」という歌がありましたが、ちょっと古いけど、ここは木がいっぱいでこの木のすぐ向こうには大きい沼、というか湖があります。


エンブレルをはじめてから2ヶ月がたった。そのころ体中が痛くて、夜も寝ていられないほどだった。有難いことに注射して2日後に痛みが80%は引いていった。私は奇跡と叫んだ。いろんな薬をためしたが、すぐに効いたことはなく、この数年、痛みが増してからは薬が効いているかどうかもわからなかった。

私はそれだけで満足していたが、2ヶ月たった今、もっといろんなことができるようになった。右手で左の耳が触れるようになり、つい最近には右手で右耳を触れるようになった。まだ首には触れないが私はこれで満足だ。

私はリウマチになってから特に自己批判がひどくなり、それでは足りなくて“無実”の家族への批判もひどくなっていく一方だった。体がつらいと心まで疲れてくる。ちょっとしたことにも落ち込んだ。たとえば、ペンを落とす。拾えない。泣きたくなる。大した事じゃないのに、悔しい。小さいことまで人を頼らなければいけない。人生の終わりに見えた。

それが今そんなことじゃ泣かなくなった。やったね!とにかく、怒ると体が痛くなった。体の痛みがどんなに心と関係してるかがよくわかった。この感謝の気持ちを忘れないようにしたい。近頃すぐ忘れるので、こうして書いておくことも大切だ。

そうそう、この何年か片付けることができなかった。根気のある人なら少しずつ痛くてもやるんだろうけど私にはできなかった。やりたくても、正直な話、どうやっていいのかさっぱり見当がつかなかった。少しずつよくなってきたころ、

(この机の上を片付けたいなぁ、ここで何かしたい)

と、机を見てはため息をつき、どうしていいかわからなくて、いつものテレビの前に戻り、また思い起こして机のところに行き、ため息をつき戻ってくる。こんなことを何日も繰り返していると、ある日、

(あっ、そうだ、こうしよう!)

と、ピンとくる。普通の人なら考えなくてもできることなんだろうけど、今の私には画期的なことだった。これから掃除、洗濯、料理、片付け、と家事はいっぱいある。自分のやりたいふうにしたい。カメのようにのろいけど、またひとつずつ学んでいくんだな、と思うこのごろ。

きょうもつきあってくれてありがとう。

Wednesday, October 31, 2007

お久しぶりです

週一回のエンブレルも二ヶ月がたった。久しぶりに出かけた。買い物に行くわけでもなんでもないが、外に出たくて。天気がよく、10月というのに暖かかった。ここは夫がゲートとガジーボを建てた(ビリちゃは大工です)。ピンクの人はお客さんです。今は退職してますが、前は先生だったそうです。このところ前より楽になってきてる。エンブレルがもっと効いてるんだな、と思う。



その家の前に紫の花があって、ミツバチがいっぱいいた。この花がいい香りで、ハーブのよう。花を折ってくれたので押し花にしたら、まだいい香りがする。今、ミツバチがいなくなってきて、問題になってるというのを先週の日曜日のニュース番組で知った。そしたら野菜や花の花粉を運んでもらえなくなり、行き着くところは物価が上がる。自然を、環境をもっと守らなくてはいけないんだなと思う。

つい、(宝くじが当たったら、そういうところに寄付を,,,)などと後回しにしてしまいがちな私だが、そういう他人任せではなく、今この時点で自分のできることをしていくしかないなと。たとえば電気をこまめに消すとか、リサイクルをするとか、かみは特にリサイクルして、買うときもリサイクル紙を買うとか。他にもあったら教えてください。

さて久しぶりの更新です。

ある日コンピュータがファイルやプログラムを開かなくなって、自分では直せないし、パニックになりそうだった。そのころ23週間前、必死になってホームページの作り方というのをみようみまねでやってた。それがなかなかうまくできない。でも、自分に(大丈夫。絶対できる、信じてればできる!)と言い聞かせてその気になってたのにそれっきりになっていた。

コンピュータは苦手だ。いつ壊れるか、といつもヒヤヒヤしてた。それがいけなかったのかもしれない。ともくがリプログラムしてくれた。同じコンピュータなのに、なぜか新しいコンピュータのような気がする。コンピュータがないとさみしい。コンピュータのありがたさがよくわかった。

高校のほうからドラムラインの練習の音が聞こえる。

またがんばろう。

Friday, October 12, 2007

リウマチと私(#6) 

今日は写真はありません。あしからず。

と思ったけど、写真がないと寂しいので、回ってきた写真を載せます。

落ち込むのは人間だけじゃないと言うお話です。

このトラのお母さんは子トラを生みましたが、全員なくなってしまったそうです。それで元気をなくし、落ち込んでいたところ、動物園の保育係の人が、

(困ったなぁ、かわいそうだな、、、待てよ。これはどうだろう)

といったかどうか、でもそういうを感じたのは確かだと思います。

その人が連れてきたのは、なんとトラ皮の服を着た子豚ちゃんたち。

大体子犬とかに洋服を着せるのは邪道だ!

言い張る私だけど、この子豚ちゃんたちは許せる。(まぁ、私に許してもらおうが、関係ないんだけど、ははは)

それで、トラのお母さんの欝(うつ)は直ったんだそうです。

めでたし、めでたし!






それでは私のぜんぜん違う話をどうぞ。

おととい、いや、今日は金曜日だ。火曜日だったからもう三日もたつんだ。

それで、火曜日、病院へ行ってきた。ヒザの手術をするのに、専門医を紹介してもらうため。説明するほど詳しくはわからないが、保険の関係で専門医に会うときはprimary care doctorと言って保険会社から当てられたドクターに会わなければいけない。この先生が忙しく予約を取るのに3週 間かかった。ちょっと面倒だが、この先生がいい人なので助かる。前のリウマチの先生はいい人なんだけど、医者としてはちょっと、、だった。薬は間違えるし 説明もなし、他の医者が連絡してもすぐ連絡をしない、検査は一切しない、そして決定的なのがファックスもコンピュータもない。だから書類は自分で持ってい かないといけなった。受付のおばさんは(おばさんと言ったが私よりは若いかも)、いまだにタイプライターを使ってる、カーボン紙使って。タイポを心配する私をよそに、余裕いっぱいそうにタイプしてた。(自分がタイプ間違えてばかりなので、人のことも気になる、オバタリアン、ちょっと古かった、、、)

まぁ、ゴシップでした。すみません。

火曜日に会った私の先生はドクター・ペッパーマンという。初めてメンフィスに来て会った先生だ。その病院はいわゆる保険のない人や貧しい人が行くところ。そこで会った。23年前に身障者に認定され、振り分けられたところがこの病院だった。人の縁ってわからないよね。

ドクター・ペッパーマンも私たちを覚えていた。こういう病院で働く先生だから、本当に医者としてがんばってるんだとまた尊敬してしまう。お金儲けでも名声でもなく人助けなんだと。

本題に行こう。

ヒザの手術をするかどうか、私としてはしたいけど、それは専門医に会ってからだから。後23週間かな。

また話題が変わるが、いつも家の中にいる。買い物に行くのも夕方から夜にかけて。近頃は夜になるのが早い。何が言いたいかというと、火曜日は秋を思わせる天気のいい日だった。写真が取りたかった。

それでもその日は30度近かった。

ちなみに今日は223度かな。

でも風が気持ちいいの。久しぶりにいい気分になった。

帰りは市の図書館に行って本を一冊借りてきた。ずっと教科書ばかり読んでたから娯楽で読むのは本当に久しぶり。

いつも息子のともくに頼んで写真を撮ってもらってた。でも、すぐやってくれないししびれを切らした私はとうとう買ってしまった、オンラインで!!

すごくわくわくしてる。このカメラはビデオも60分も撮れる。(わーーーい!!

もう、ともくに頼まなくてもいいんだ。写真を撮るのは私よりずっとうまいけど、、、

大きい声の独り言でした。付き合ってくれてありがとう。


Monday, October 8, 2007

リウマチと私(#5)、エンブレル#6



立つとき大変なので、車椅子で台の上に乗り上げて立ちます。私の前にあるのがウォーカー(歩行器)で、ヒジを使って体を支えます。エンブレルのおかげで痛みは楽になったけど、ヒザの手術もしたいと思ってます。テレビで「バイオニック・ウーマン」と言うのが始まりました。私もああいうのがいいな。
明日、また病院に行きます。

先週はあまりブログを書かなかった。反省。
病院のアポがあったり、ビリちゃがいたりで怠けてました、はい。
考えてみると、もう10月だ。毎日まだ暑いので、ついまだ夏?!と思ってしまう。
今年は記録的な暑さだそうで、今日はちなみに35度。10月ですから。もちろんエアコンをつけている。

先週は水曜日にドクターアポがあり、病院へ。行きたくなかった。いつも待たせられ疲れるから。12時のアポだったが、ドクターに会ったのは2時半。
血液検査をしないので、要求するとあわてて検査にまわされる。
ここの病院はいつも医者が違う。インターンがいて、その上司の医者がそのインターンを教育していく、と言うやり方らしい。
帰ってきたのは4時半。おなかぺこぺこ。食欲があるのが、食いしん坊の私にはうれしい。

リウマチの数値のことを聞いたら、
「今日はしなかったの。でも調子はいいみたいだから、それが一番大切なことよね。次回のアポのときするわね」
と女医インターンが言う。
(ごもっとも!)
と私は単純に同意する。それに何回も針を刺されるのはいやだし。

ということでエンブレルは効いている。
今まで自分の病気から逃げていた私だ。アメリカに来た11年前までステロイドと痛み止めしか使っていなかった。医者に質問なんて考えてもいなかった。どうやってリウマチを隠し続けるか、しか思いつかなかった。
今思うとバカだったな、と素直に言える。
アメリカに来た11年前、しばらく医者に行かなかった。落ち込んでいたと今は言える。アメリカに来たくなかったから。

でも薬が必要なので、病院にいかないわけに行かなかった。そのとき初めてリウマチの薬をもらう。週1でとるリウマトレックス(メトトレキサート 17.5mg)。

はじめは効いていたが、2001年に熱を出したときから効いてうかどうかわからないくらい痛みは減らなかった。それからアラバを始めいろいろ増えたが効いていなかったと思う。

だから使用後2日で効き始めたエンブレルは感激だった。

エンブレルを始める前は、夜も寝ていられないくらい体中が痛かった。特にヒジとヒザが特にひどかった。
アメリカでは50mgのエンブレルを週1で注射する。今日まで6回使用。エンブレルを使うまで一日3回最大限の量を痛み止めを飲んでいたが、今はそれを忘れるくらい痛みは楽だ。でも心配なので寝る前に一回痛み止めを飲む。朝のこわばりも今のところない。

今までリウマチと向かい合ってこなかったので、体中、特にヒジとヒザは散々な目にあってる。それで立つのが大変なので写真のように少し高くして立つ。
それになんと言っても怠け者で臆病なのでいまだに車椅子。ソファーに座ったらきっと座りっぱなしになると思うので、、、
本当は痛みが減った時点で歩く練習をするとか、、、だといいんですが。

いい訳だけど、手術もしてやせてしまったことも上げておこう。私は身長が170センチ、体重も60キロはあった。それが今は45キロもない。身長だって5センチくらい縮んでるるんじゃないかな。髪も伸びてないみたい。

2回目の手術から(4月26日)半年近くたつ。結構大変な手術だった。まだ顔の感覚は戻っていない。今数えてみて自分でも
「へぇー、もうそんなにたつんだ」
って感じ。
外にもあまり出てないし、友達もあまりいないし、学校も今は休んでるし。とにかく外との交流がない。
初めて11年前にメンフィスに引っ越しえ来たとき、ビリちゃのきょうだいが4人のうち3人いたし、お父さんもいる。私も働いていた(と言ってもパートで日本語を学校とかで教えてたくらい)から人と会うことも多かった。またともくの学校の送り迎えで忙しかった。
ところがきょうだいたちはみんな引っ越してしまった。日本人の友人たちも一人二人と引っ越して行ってしまった。悲しかった。
ともくは家から目の前の高校へ行ってるから送り迎えはいらない。
仕事は体調の悪化と私自身学校に行き始めたのでやめた。
今学校は手術のため休んでるし、いつ戻るやら。

リハビリは体力のこともあるけど、精神的にも必要かなって思うこのごろだ。
今は家でテレビを見てるとか、恥ずかしいけど暇つぶしにナンクロとかイラロジをするくらいでしょ。段々人間らしい気持ちになってきた今、何かしたくなってきた。うれしいことだ。何をしようか、今考え中。
インターネットがあってよかった。

もう少しがんばろう。

長くなってしまったけど、読んでくれてありがとう。
付き合ってくれてありがとう。

Monday, October 1, 2007

メンフィスのこのごろ


きのうは日曜日、九月最後の日。

気温はまだ30度を超えているが、家にいる限りは涼しい。

土曜の夜、ビリちゃと買い物に行ったとき、外も涼しかった、いや、寒いくらい。エアコンももう昼間は使っていない。そのせいで、外の音がよく聞こえる。

夜中か夜明けころか酔っ払いの声で目が覚めた。いやになる。

きょうは天気がいい。鳥たちがピーチク、パーチクやっている。

ホーホーと鳩が。

ピッ、ピッ、と名も知らぬ鳥。

一番すきなのが、鳥の名は知らないけど、

「ウレウレウレシイ、ピッピッピッピ、、、」と鳴く鳥。姿はまだ知らない。

初めて聞こえたのは昼寝をしてたとき。半分寝ぼけてるので、

「ウレウレウレシイ、ピッピッピッピ、、、」

と、聞こえたとき、

(あ、日本語で鳴いてる)

と、思った。寝ぼけていたのでそれが鳥の声と理解するまで時間がかかった。

メンフィスは木が多いおかげで、鳥もいろいろいる。赤い鳥、青い鳥、黄色い鳥、しかも蛍もいる。この自然を保ちたいものだ。

Wednesday, September 26, 2007

ニャンこの話、ねこ大好き!

我が家のニャンこたち。小さいのたま(男の子、まだもらってきたばかりのころ)、黒いのがジャズちゃん(女の子、シェルターから5ヶ月の時もらってきました)です。一緒の写真がなく昔のを。なかなかシャッターチャンスがなくて。


今日のたまです。寝てたのを起こされたばかりでちょっとムッとしてますが、そこがかわいいんだなぁ! デブと呼ばないで。 結構筋肉質なんです、これでも。食事はカリカリのキャットフードのみ。魚をあげても缶詰をあげても食べない。だからキャットフードだけで太る、いえ大きくなるなんて、と首を傾げてるわけ。ビニールの私のバッグ、わかりますか? なぜかバッグが好きでバッグの中に顔をよく突っ込んでます。入れると思ってるのかな?!

相変わらず散らかっててごめんなさい、でもありのままの我が家です。

ねこが好きだ。子供のころからずっとねこがいた。大学のときシャムネコを先輩からもらった。かわいいねこだったが、“男好き”で、暇があると妊娠してた。ある年は1年に4回子供を生んだ。続けて10回出産したとき、心は痛んだが避妊手術をした。何が言いたいかというとそのとき“子ねこ育て“を思い切り楽しんだ。2ヶ月になるまでのかわいい時に育ててから人にあげるということを2年間繰り返した。その間、子ねこの数50匹。(ちょっと自慢。 ほかに自慢することないの?)

ジャズちゃんは本当はJazzyと言う。でもZの発音ができない人が、私の母ですが、いるので、ジャズちゃんと呼んでる。メンフィスに来てこの家に引越ししたとき、ともくがねこをほしがったのでシェルターからもらってきた。シェルターにはかわいい3ヶ月くらいの子猫がいて、ともくはそのねこをもらうことにした。ともくは7歳だった。引っ越してきたばかりで、英語もまだよくできず、友達もいない、、、。さみしかったんだね。

「じゃ、このねこにしようね」

と決めようとしたとき、その子ねこがひっくり返って、おなかが見えた。ともくはとんでもないものを見てしまった、と言う顔。子ねこのおなかにはまだ新しい避妊手術の傷跡が見えた。しかもそのねこは白っぽいねこだったのではっきり見えた。

ギョッとしたともくは

「あ、やっぱりあのねこにする」

と言って床の上に置かれたケージにはいっている黒ねこを指差した。

やっぱりって、そのねこには見向きもしてなかったのに。そのねこはもう半分大人になっている誰にももらわれそうもないねこ。

こ のねこが“かくれねこ”だった。とにかくどこかに隠れる。探してもわからない。でもこのねこには弱点があった。呼ぶと「んにゃ」と答える。もらってきたと き、名前をミミとかかわいいのにしたかったけど、ミミと呼んでも返事をしない。ジャジィというのが自分の名前とわかってる。それで名前はキープすることに した。そんなシャイなねこだ。

ある日、日本から前教えていた学校の学生が3人遊びに来た。

「家のねこは恥ずかしがりやだから、でてこないかも、、」

学生3人は、ともくの部屋で寝てもらった。しかし、翌日何気なく部屋をのぞいたら、なんとジャズちゃんは学生の一人のひざにのり、なでてもらってた! びっくりした。後でわかったが、ともくの友達は好きみたいだ。男の人が好きなのかな?

今でも一日中隠れているが、ともくが帰ってくると、すぐ出てきてひざのうえにのりたがる。ねこも恩を忘れないんだな、と思う。

ねこの話になると止まらない。たまの話は次回と言うことで。

Monday, September 24, 2007

フットボールゲーム行ってきましたが

今日はビリちゃが写真を撮ったので、ちょっとぶれました。それでも私よりはいいかな。ゲームの雰囲気が伝わってくれればいいな、と。


バンドの写真がいまいちで、これは休憩中のともく。友達と。

もう、先週の金曜日になってしまった。今日は月曜日です。ともくの学校のゲームを、というよりバンドを見に行ってきました。写真はあまりよくなかったので、休憩時間の一こまです。私たちはなぜか集中できず、すぐに戻ってきてしまいました。

ゲームの後、ともくの友達が4人来て泊まりました。コンピュータ・ゲームのほうが面白いようです。

Thursday, September 20, 2007

フットボールゲーム、ミーハーな話です。

これは、ともく(息子)が行ってる高校のこの秋新しくできたフットボールスタジアム。向こうに白いうちが見えますか? 我が家です。

今これを書いているとき、外からマーチングバンドの練習の音、ドラムの音が聞こえる。ともくの行ってる高校はメンフィスでも一番古い。去年はグラウンド(フットボールもやる)が工事中で、ゲームのあるときはいつも遠征で、私は一回しか行ってない。しかもともくの学校のフットボールは弱い。一回も勝ったことがない。(参加することに意義がある、を地でやってます)

クリスマスとか、メンフィス中のバンドが集まって行進する。それこそマーチングバンド。みんな本当にカッコいい。ところが私たち夫婦ときたら、子供が一人しかいないのに、あまり見に行かなかった。寒かったり、行っても時間を間違え行進は終わってたとか。情けないね。

だが今年はなんと言っても学校は目の前なので、行かないわけには行かない(ともくが、ぜひ来て、と言ってるんじゃないんですが、ティーンエイジャーなので)。それでもめげずに行く。

“ド ラムライン”と言う映画を見たことがありますか。実は何年か前、日本へ行く飛行機で見た。ずっと何回も見た。今もコンピュータに入ってるくらいマーチング バンドはカッコいい。偶然ともくもそう思ったようで、今年から、と言っても高校最後の年だがクワドロドラムというドラムが四つあるドラムをたたいている。

明日は行くぞ!