塀の向こう、何があるんだろう。
今日は父の誕生日。亡くなったのが10月9日。今年は十三回忌だった。
人は誕生日の近くに亡くなるというのをどこかで聞いたことがある。私の身の回りでは、祖母が3月生まれで3月に亡くなった。父は誕生日が11月9日で命日が10月9日。面白いのは父の一番上の兄だった、おじさんだ。彼は誕生日と命日が同じ日、3月14日、しかも同じ酉年。84歳だった。
こんな話はしたくないが、父と私は仲が悪かった。まるで敵同士。父はしらふの時は口数の少ない人で、背が185センチもあり怒ると大きい声を出すので怖かった。でも私はそんな父を怒らせて喜んでいた。ほら、私たちは敵同士だったから。私がまだ7才のころ、詳しくは覚えていないが父が私をすごく怒って、追いかけて叩こうとした。私はへらへら笑い、外へ逃げた。父が私をはだしで追いかけて来ようとしたとき、祖母が
「そんたちぃせ子,追っかけて、親の癖に,,,」
と言われ、追いかけるのをやめたと言うことがあった。
父が大っ嫌いだった。友達が父親が好きなんていうと、驚いた。そんな父だったが、孫には優しかった。ともくも父のことが大好きだった。
そんな父ががんになった。わかったころにはもう手遅れで何の処置もできない状態だった。今後悔してるのは父に本当のことを言えなかったこと。
父はアル中だった。私はそう思っていた。手術の後飲めなくなった。飲んじゃいけなかったんだね。父は真剣に治りたいと思い、酒をやめたんだ。見ていたらかわいそうになった。生まれて初めての父への思いだった。
そこから私と父の敵同士の憎いという気持ちがなくなっていった。私は父にハンドパワーをした。初めは父も「そんたごと」と言って信じていなかった。父はカトリックを盲目的に信じてた。自分の兄が教会で働いていたので、母とけんかすると、「おめぇは天国さいげねや」と意地悪なことを言った。その父が毎日私が帰ってくるのを夜遅くても待っていた。

「これをすると痛みがすごく和らぐ。一日24時間のうち、1時間でも楽になるがら、ありがで(これはミスプリではありません、念のため、東北訛りなんです)」
こういうことがあって、私たちは精神的にぐっと近くなった。血のつながりってやはりすごいと思った。その父の亡くなるまでの2ヵ月半で私たちは40年以上の骨肉の争いを何の残りもなく終えた。父が今はあの世で、アル中を卒業して、平和に暮らしていると信じている。死んだら父に会いたい、会えると信じてる。
今日は少し重い話でしたが、付き合ってくれてありがとう。
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