いらっしゃいませ、私のブログヘ

引越しします。

Wednesday, October 31, 2007

お久しぶりです

週一回のエンブレルも二ヶ月がたった。久しぶりに出かけた。買い物に行くわけでもなんでもないが、外に出たくて。天気がよく、10月というのに暖かかった。ここは夫がゲートとガジーボを建てた(ビリちゃは大工です)。ピンクの人はお客さんです。今は退職してますが、前は先生だったそうです。このところ前より楽になってきてる。エンブレルがもっと効いてるんだな、と思う。



その家の前に紫の花があって、ミツバチがいっぱいいた。この花がいい香りで、ハーブのよう。花を折ってくれたので押し花にしたら、まだいい香りがする。今、ミツバチがいなくなってきて、問題になってるというのを先週の日曜日のニュース番組で知った。そしたら野菜や花の花粉を運んでもらえなくなり、行き着くところは物価が上がる。自然を、環境をもっと守らなくてはいけないんだなと思う。

つい、(宝くじが当たったら、そういうところに寄付を,,,)などと後回しにしてしまいがちな私だが、そういう他人任せではなく、今この時点で自分のできることをしていくしかないなと。たとえば電気をこまめに消すとか、リサイクルをするとか、かみは特にリサイクルして、買うときもリサイクル紙を買うとか。他にもあったら教えてください。

さて久しぶりの更新です。

ある日コンピュータがファイルやプログラムを開かなくなって、自分では直せないし、パニックになりそうだった。そのころ23週間前、必死になってホームページの作り方というのをみようみまねでやってた。それがなかなかうまくできない。でも、自分に(大丈夫。絶対できる、信じてればできる!)と言い聞かせてその気になってたのにそれっきりになっていた。

コンピュータは苦手だ。いつ壊れるか、といつもヒヤヒヤしてた。それがいけなかったのかもしれない。ともくがリプログラムしてくれた。同じコンピュータなのに、なぜか新しいコンピュータのような気がする。コンピュータがないとさみしい。コンピュータのありがたさがよくわかった。

高校のほうからドラムラインの練習の音が聞こえる。

またがんばろう。

Friday, October 12, 2007

リウマチと私(#6) 

今日は写真はありません。あしからず。

と思ったけど、写真がないと寂しいので、回ってきた写真を載せます。

落ち込むのは人間だけじゃないと言うお話です。

このトラのお母さんは子トラを生みましたが、全員なくなってしまったそうです。それで元気をなくし、落ち込んでいたところ、動物園の保育係の人が、

(困ったなぁ、かわいそうだな、、、待てよ。これはどうだろう)

といったかどうか、でもそういうを感じたのは確かだと思います。

その人が連れてきたのは、なんとトラ皮の服を着た子豚ちゃんたち。

大体子犬とかに洋服を着せるのは邪道だ!

言い張る私だけど、この子豚ちゃんたちは許せる。(まぁ、私に許してもらおうが、関係ないんだけど、ははは)

それで、トラのお母さんの欝(うつ)は直ったんだそうです。

めでたし、めでたし!






それでは私のぜんぜん違う話をどうぞ。

おととい、いや、今日は金曜日だ。火曜日だったからもう三日もたつんだ。

それで、火曜日、病院へ行ってきた。ヒザの手術をするのに、専門医を紹介してもらうため。説明するほど詳しくはわからないが、保険の関係で専門医に会うときはprimary care doctorと言って保険会社から当てられたドクターに会わなければいけない。この先生が忙しく予約を取るのに3週 間かかった。ちょっと面倒だが、この先生がいい人なので助かる。前のリウマチの先生はいい人なんだけど、医者としてはちょっと、、だった。薬は間違えるし 説明もなし、他の医者が連絡してもすぐ連絡をしない、検査は一切しない、そして決定的なのがファックスもコンピュータもない。だから書類は自分で持ってい かないといけなった。受付のおばさんは(おばさんと言ったが私よりは若いかも)、いまだにタイプライターを使ってる、カーボン紙使って。タイポを心配する私をよそに、余裕いっぱいそうにタイプしてた。(自分がタイプ間違えてばかりなので、人のことも気になる、オバタリアン、ちょっと古かった、、、)

まぁ、ゴシップでした。すみません。

火曜日に会った私の先生はドクター・ペッパーマンという。初めてメンフィスに来て会った先生だ。その病院はいわゆる保険のない人や貧しい人が行くところ。そこで会った。23年前に身障者に認定され、振り分けられたところがこの病院だった。人の縁ってわからないよね。

ドクター・ペッパーマンも私たちを覚えていた。こういう病院で働く先生だから、本当に医者としてがんばってるんだとまた尊敬してしまう。お金儲けでも名声でもなく人助けなんだと。

本題に行こう。

ヒザの手術をするかどうか、私としてはしたいけど、それは専門医に会ってからだから。後23週間かな。

また話題が変わるが、いつも家の中にいる。買い物に行くのも夕方から夜にかけて。近頃は夜になるのが早い。何が言いたいかというと、火曜日は秋を思わせる天気のいい日だった。写真が取りたかった。

それでもその日は30度近かった。

ちなみに今日は223度かな。

でも風が気持ちいいの。久しぶりにいい気分になった。

帰りは市の図書館に行って本を一冊借りてきた。ずっと教科書ばかり読んでたから娯楽で読むのは本当に久しぶり。

いつも息子のともくに頼んで写真を撮ってもらってた。でも、すぐやってくれないししびれを切らした私はとうとう買ってしまった、オンラインで!!

すごくわくわくしてる。このカメラはビデオも60分も撮れる。(わーーーい!!

もう、ともくに頼まなくてもいいんだ。写真を撮るのは私よりずっとうまいけど、、、

大きい声の独り言でした。付き合ってくれてありがとう。


Monday, October 8, 2007

リウマチと私(#5)、エンブレル#6



立つとき大変なので、車椅子で台の上に乗り上げて立ちます。私の前にあるのがウォーカー(歩行器)で、ヒジを使って体を支えます。エンブレルのおかげで痛みは楽になったけど、ヒザの手術もしたいと思ってます。テレビで「バイオニック・ウーマン」と言うのが始まりました。私もああいうのがいいな。
明日、また病院に行きます。

先週はあまりブログを書かなかった。反省。
病院のアポがあったり、ビリちゃがいたりで怠けてました、はい。
考えてみると、もう10月だ。毎日まだ暑いので、ついまだ夏?!と思ってしまう。
今年は記録的な暑さだそうで、今日はちなみに35度。10月ですから。もちろんエアコンをつけている。

先週は水曜日にドクターアポがあり、病院へ。行きたくなかった。いつも待たせられ疲れるから。12時のアポだったが、ドクターに会ったのは2時半。
血液検査をしないので、要求するとあわてて検査にまわされる。
ここの病院はいつも医者が違う。インターンがいて、その上司の医者がそのインターンを教育していく、と言うやり方らしい。
帰ってきたのは4時半。おなかぺこぺこ。食欲があるのが、食いしん坊の私にはうれしい。

リウマチの数値のことを聞いたら、
「今日はしなかったの。でも調子はいいみたいだから、それが一番大切なことよね。次回のアポのときするわね」
と女医インターンが言う。
(ごもっとも!)
と私は単純に同意する。それに何回も針を刺されるのはいやだし。

ということでエンブレルは効いている。
今まで自分の病気から逃げていた私だ。アメリカに来た11年前までステロイドと痛み止めしか使っていなかった。医者に質問なんて考えてもいなかった。どうやってリウマチを隠し続けるか、しか思いつかなかった。
今思うとバカだったな、と素直に言える。
アメリカに来た11年前、しばらく医者に行かなかった。落ち込んでいたと今は言える。アメリカに来たくなかったから。

でも薬が必要なので、病院にいかないわけに行かなかった。そのとき初めてリウマチの薬をもらう。週1でとるリウマトレックス(メトトレキサート 17.5mg)。

はじめは効いていたが、2001年に熱を出したときから効いてうかどうかわからないくらい痛みは減らなかった。それからアラバを始めいろいろ増えたが効いていなかったと思う。

だから使用後2日で効き始めたエンブレルは感激だった。

エンブレルを始める前は、夜も寝ていられないくらい体中が痛かった。特にヒジとヒザが特にひどかった。
アメリカでは50mgのエンブレルを週1で注射する。今日まで6回使用。エンブレルを使うまで一日3回最大限の量を痛み止めを飲んでいたが、今はそれを忘れるくらい痛みは楽だ。でも心配なので寝る前に一回痛み止めを飲む。朝のこわばりも今のところない。

今までリウマチと向かい合ってこなかったので、体中、特にヒジとヒザは散々な目にあってる。それで立つのが大変なので写真のように少し高くして立つ。
それになんと言っても怠け者で臆病なのでいまだに車椅子。ソファーに座ったらきっと座りっぱなしになると思うので、、、
本当は痛みが減った時点で歩く練習をするとか、、、だといいんですが。

いい訳だけど、手術もしてやせてしまったことも上げておこう。私は身長が170センチ、体重も60キロはあった。それが今は45キロもない。身長だって5センチくらい縮んでるるんじゃないかな。髪も伸びてないみたい。

2回目の手術から(4月26日)半年近くたつ。結構大変な手術だった。まだ顔の感覚は戻っていない。今数えてみて自分でも
「へぇー、もうそんなにたつんだ」
って感じ。
外にもあまり出てないし、友達もあまりいないし、学校も今は休んでるし。とにかく外との交流がない。
初めて11年前にメンフィスに引っ越しえ来たとき、ビリちゃのきょうだいが4人のうち3人いたし、お父さんもいる。私も働いていた(と言ってもパートで日本語を学校とかで教えてたくらい)から人と会うことも多かった。またともくの学校の送り迎えで忙しかった。
ところがきょうだいたちはみんな引っ越してしまった。日本人の友人たちも一人二人と引っ越して行ってしまった。悲しかった。
ともくは家から目の前の高校へ行ってるから送り迎えはいらない。
仕事は体調の悪化と私自身学校に行き始めたのでやめた。
今学校は手術のため休んでるし、いつ戻るやら。

リハビリは体力のこともあるけど、精神的にも必要かなって思うこのごろだ。
今は家でテレビを見てるとか、恥ずかしいけど暇つぶしにナンクロとかイラロジをするくらいでしょ。段々人間らしい気持ちになってきた今、何かしたくなってきた。うれしいことだ。何をしようか、今考え中。
インターネットがあってよかった。

もう少しがんばろう。

長くなってしまったけど、読んでくれてありがとう。
付き合ってくれてありがとう。

Monday, October 1, 2007

メンフィスのこのごろ


きのうは日曜日、九月最後の日。

気温はまだ30度を超えているが、家にいる限りは涼しい。

土曜の夜、ビリちゃと買い物に行ったとき、外も涼しかった、いや、寒いくらい。エアコンももう昼間は使っていない。そのせいで、外の音がよく聞こえる。

夜中か夜明けころか酔っ払いの声で目が覚めた。いやになる。

きょうは天気がいい。鳥たちがピーチク、パーチクやっている。

ホーホーと鳩が。

ピッ、ピッ、と名も知らぬ鳥。

一番すきなのが、鳥の名は知らないけど、

「ウレウレウレシイ、ピッピッピッピ、、、」と鳴く鳥。姿はまだ知らない。

初めて聞こえたのは昼寝をしてたとき。半分寝ぼけてるので、

「ウレウレウレシイ、ピッピッピッピ、、、」

と、聞こえたとき、

(あ、日本語で鳴いてる)

と、思った。寝ぼけていたのでそれが鳥の声と理解するまで時間がかかった。

メンフィスは木が多いおかげで、鳥もいろいろいる。赤い鳥、青い鳥、黄色い鳥、しかも蛍もいる。この自然を保ちたいものだ。