立つとき大変なので、車椅子で台の上に乗り上げて立ちます。私の前にあるのがウォーカー(歩行器)で、ヒジを使って体を支えます。エンブレルのおかげで痛みは楽になったけど、ヒザの手術もしたいと思ってます。テレビで「バイオニック・ウーマン」と言うのが始まりました。私もああいうのがいいな。明日、また病院に行きます。先週はあまりブログを書かなかった。反省。
病院のアポがあったり、ビリちゃがいたりで怠けてました、はい。
考えてみると、もう10月だ。毎日まだ暑いので、ついまだ夏?!と思ってしまう。
今年は記録的な暑さだそうで、今日はちなみに35度。10月ですから。もちろんエアコンをつけている。
先週は水曜日にドクターアポがあり、病院へ。行きたくなかった。いつも待たせられ疲れるから。12時のアポだったが、ドクターに会ったのは2時半。
血液検査をしないので、要求するとあわてて検査にまわされる。
ここの病院はいつも医者が違う。インターンがいて、その上司の医者がそのインターンを教育していく、と言うやり方らしい。
帰ってきたのは4時半。おなかぺこぺこ。食欲があるのが、食いしん坊の私にはうれしい。
リウマチの数値のことを聞いたら、
「今日はしなかったの。でも調子はいいみたいだから、それが一番大切なことよね。次回のアポのときするわね」
と女医インターンが言う。
(ごもっとも!)
と私は単純に同意する。それに何回も針を刺されるのはいやだし。
ということでエンブレルは効いている。
今まで自分の病気から逃げていた私だ。アメリカに来た11年前までステロイドと痛み止めしか使っていなかった。医者に質問なんて考えてもいなかった。どうやってリウマチを隠し続けるか、しか思いつかなかった。
今思うとバカだったな、と素直に言える。
アメリカに来た11年前、しばらく医者に行かなかった。落ち込んでいたと今は言える。アメリカに来たくなかったから。
でも薬が必要なので、病院にいかないわけに行かなかった。そのとき初めてリウマチの薬をもらう。週1でとるリウマトレックス(メトトレキサート 17.5mg)。
はじめは効いていたが、2001年に熱を出したときから効いてうかどうかわからないくらい痛みは減らなかった。それからアラバを始めいろいろ増えたが効いていなかったと思う。
だから使用後2日で効き始めたエンブレルは感激だった。
エンブレルを始める前は、夜も寝ていられないくらい体中が痛かった。特にヒジとヒザが特にひどかった。
アメリカでは50mgのエンブレルを週1で注射する。今日まで6回使用。エンブレルを使うまで一日3回最大限の量を痛み止めを飲んでいたが、今はそれを忘れるくらい痛みは楽だ。でも心配なので寝る前に一回痛み止めを飲む。朝のこわばりも今のところない。
今までリウマチと向かい合ってこなかったので、体中、特にヒジとヒザは散々な目にあってる。それで立つのが大変なので写真のように少し高くして立つ。
それになんと言っても怠け者で臆病なのでいまだに車椅子。ソファーに座ったらきっと座りっぱなしになると思うので、、、
本当は痛みが減った時点で歩く練習をするとか、、、だといいんですが。
いい訳だけど、手術もしてやせてしまったことも上げておこう。私は身長が170センチ、体重も60キロはあった。それが今は45キロもない。身長だって5センチくらい縮んでるるんじゃないかな。髪も伸びてないみたい。
2回目の手術から(4月26日)半年近くたつ。結構大変な手術だった。まだ顔の感覚は戻っていない。今数えてみて自分でも
「へぇー、もうそんなにたつんだ」
って感じ。
外にもあまり出てないし、友達もあまりいないし、学校も今は休んでるし。とにかく外との交流がない。
初めて11年前にメンフィスに引っ越しえ来たとき、ビリちゃのきょうだいが4人のうち3人いたし、お父さんもいる。私も働いていた(と言ってもパートで日本語を学校とかで教えてたくらい)から人と会うことも多かった。またともくの学校の送り迎えで忙しかった。
ところがきょうだいたちはみんな引っ越してしまった。日本人の友人たちも一人二人と引っ越して行ってしまった。悲しかった。
ともくは家から目の前の高校へ行ってるから送り迎えはいらない。
仕事は体調の悪化と私自身学校に行き始めたのでやめた。
今学校は手術のため休んでるし、いつ戻るやら。
リハビリは体力のこともあるけど、精神的にも必要かなって思うこのごろだ。
今は家でテレビを見てるとか、恥ずかしいけど暇つぶしにナンクロとかイラロジをするくらいでしょ。段々人間らしい気持ちになってきた今、何かしたくなってきた。うれしいことだ。何をしようか、今考え中。
インターネットがあってよかった。
もう少しがんばろう。
長くなってしまったけど、読んでくれてありがとう。
付き合ってくれてありがとう。