いらっしゃいませ、私のブログヘ

引越しします。

Friday, November 30, 2007

近況報告

寒いです。
考えてみるともう明日から12月なんですね。
光熱費がもったいない、と本当に寒くなるまでボイラーをつけるのをケチってましたが、今夜はつけようと思ってます。

今年は何も考えずに、生きたような気がする。
手術があって、痛いの痛くないのってで8月まで過ごし、8月下旬からは痛みが楽になり、ブログを始めた。
なんと言っても今年のヒットは、まず母がアメリカに来てくれたこと。
その次が読書を始めたこと。

読書は私のたった一つの楽しみだった。本を読んでいるととにかく心が躍る。もちろんどんな本でもいいというわけではない。どちらかと言うとノンフィクションが好き。本当にある、と言うのが興奮するひとつ。
日本にいるときはただ読んでいた。何も考えてなかったな。
アメリカに11年前に引っ越してきたとき、ビリちゃのお姉さん、と言っても私とひとつしか変わらないが、彼女が面白い本を紹介してくれた。
あとは、ミステリー、サスペンスをなめるように読んだ。
その中で面白かったのが臨死体験の本。あまりの面白さに翻訳まで考え、作者3人に許可を取り、日本の出版社にまで送ったが、なしのつぶて。

そこであきらめたころ、大学で日本語を教える話があり、98年の秋から。日本語教師は足を洗ったつもりだったが、なんといっても仕事がない。それに英語に自信もないので他の仕事をする自身が無い。
そのころ読書が心の栄養だったわけです。和むんです。テレビなんて見たことがなかった。

2000年から大学院に行くための準備を。なんと言っても大学を卒業してから20年以上もたっているので新しくとらないといけない授業もあって、心理学の授業をとった。人の考え方とか、心の中に興味があったので、単純に心理学にした。それに臨死体験ももっと知りたかったから。

大学院に行き始めたのが2002年の秋。授業についていくのがやっとでした。
とにかく教科書を読むのが、理解できない。自分がいかに無い物ねだりをしてるのか、と自分の馬鹿さかげんに泣いた。そのころから余暇に本を読んで和む、と言うことができなくなった。
それから今年までいわゆる楽しむ読書をしたことがなかった。

だから今本を読んで楽しい、と言うことがうれしい。10月の下旬から始めた。始めはなかなかページが進まず、1冊読むのに、2週間かかった。今3冊目を読んでる。

面白いので、少しずつおすそ分けしていきたいと思ってます。
じゃ、今日はこれで。
付き合ってくれてありがとう。

Wednesday, November 28, 2007

寒くなってきました


久しぶりの写真です。先週は感謝祭(Thanksgiving)で、ビリちゃのお母さんのところへ。
木の葉っぱがすっかり落ち、向こうに湖が見えます。いい天気で気持ちがいいですが、寒かったぁ。

去年の暮れは、ビリちゃの弟ががんで手術、1月は私の手術と忙しかったので、みんなが集まるのは久しぶり。しかもみんな離れているので。今回は全部で19人でした。久しぶりなのでうれしいけど、いっぱいいるので、ちょっと疲れました。しかも、土曜日は結婚式があり、2時間以上ドライブしてみんなで参加。その日は雨で寒かったです。食事のバーベキューがおいしくて、お代わりしました。うまかった、満足。帰りは眠りこけてました。

日曜日に帰ってきました。雨でした。
月曜日は疲れて、何もする気になれずで、本を読む。
火曜日は、一日中本を読み、夕方からイラストロジックを、、、ちょっと恥ずかしい。
今日は、朝8時に血液検査で出かけたのに、書類の関係で帰され、私のプライマリーケア(保険会社が決めた私のお医者さん)のところで血液検査を12:30に。疲れた。帰ってきたのが2時半でした。

今日も何も書けないのは、いやなので
「お元気ですか。私も元気よ。明日書きますよ」
のご挨拶のつもりで今書いてます。

と言うわけでまた明日。

Monday, November 19, 2007

眼科に行ってきました。

今日は眼科に。この67年、老眼(グスン)が進みそれは仕方ないとして、世界が二重に見える。これ、乱視って言うのかな?!

テレビが好きで寝ながら見るが、首の位置でテレビが二つ見える。二つが重なると何がなんかわからなくなるので、二つが離れたところで首の位置を決める。神経質なのか、はじめはこれが気になって仕方なかった。

本を読むのは大変だ。透明のシートに本のページを想像してほしい。ほら、オーバーヘッドプロジェクターに使う、あの透明のシート。本を読むときそれが2枚ちょっとずれて重なって見える感じ。片目をつむるか、白い紙で1行ずつ読んでいく。もち、首を傾げて。だからよほど興味のある本じゃないと読む気になれない。(口実??

今はかなりあきらめているが、完全にあきらめる前に何かいい方法があるか、と眼科へ。

結果として、二重に見えるのを直すことはできないと言うこと。ドクター曰く、ちょっと笑ってしまったが、

「いいほうの目で読むようにしたら? (海賊の親分みたいに)一方の目にパッチして」

おいおい、そんなことしか言えないの? 博士じゃん。でも、本当にそう言ったんです。

おかげさまでこれで生きていく決心がつきました。きれいな花が見えるだけでもいいもんです。お疲れ様でした。

Friday, November 16, 2007

忘れてはいけないこと

今朝、寒かった。
私は北国で育ったが、メンフィスに来て4,5年でこの暖かさに慣れてしまった。
冬の日本はつらいかも。

それにしても寒いといっても、室温は19度はある。
電気ストーブの前に陣取りひざに毛布をかけてすごす。
私の前にねこがすわると、ストーブの温かみがあまりこない。

そのせいか今日は体がいつもより痛む。
(いやだなぁ、まだそんなに寒くもないのに)

そこで
(あっ、そうだ、忘れてた!!!)

そうなんです、昨日薬を飲むのを、特に痛み止めを飲むのを忘れてた。
こんなことはめったにないのに。
で、朝一番にのみました。
お騒がせしました。少し楽になりました。

近頃は本を読み始めたので、楽しいです。
仲間ができたようで。今日もがんばろう!!(何を??)

きょうもよろしく、ありがとう。

スケートボードを楽しむ犬

YouTubeにブルドックがスケートボードをしているのが人気を集めている。
ご覧になりたい方はどうぞ。

リンク集にあります。

この犬がトーク番組に出たので見たら、本当に好きでやってるそうだ。
飼い主は教えることもなく、犬が自分で覚えたと言う。
バランスをとったりしてるのがよくわかる。

番組中に飼い主がボードを持って話していると、犬が
「わん、早くボード返してよ」
と、そういう風に私には聞こえた。

ボードを渡すと、早速前足、後ろ足一本ずつのせ、走り始める。
かわいかったので、YouTube からどうぞ。

Wednesday, November 14, 2007

メンフィスのこのごろ

久しぶりの写真です。買い物に行ったときの駐車場の木の紅葉 きれいだった。

今日のメンフィスは荒れている。寒冷前線が来ると雨になりやすいが、外は真っ暗で風がすごい。そこへピーポーピーポーとパトカーかなんかの音。不安になる。ひとりだからかな? 本当はこういう天気は好きなんだけど。きっとみんな出かけてるから心配なんだ。

ともくが友達と3人で帰ってる。珍しくにやにやして、

「いい天気だねー、じゃ早速出かけてくるよ。すぐそこだから、大丈夫」

心配する私をよそにそそくさと行ってしまう。ま、いいか。

このごろの私は、やりたいことがあるのについ締め切りがないので、あと伸ばしになってしまう。たとえば新しく作ろうとしてるホームページの作り方の勉強。それに載せる記事の作成。やることはいっぱいある。コンピュータが調子悪くなって直していた23週間のうちにやる気がそがれてしまった。

でも、本は読んでいる。この数年本が読めなかった。大学にいってたので、教科書は読んだ。読むのは好きなので、教科書もそれなりに楽しかったが。今読んでいる自分がうれしい。

以前は読書が趣味で、仕事を終え家に帰り小学生だったともくを迎えに行くまで、本を読むのが私の楽しみだった。多いときは週に一冊は読んだ。

好きなのはノン・フィクション。心の栄養と私は呼んでいる。読み終わったら、少しずつ紹介していきたいと思ってる。よろしく。

これを書いていたら、電話が来た。ともくだ。

「大丈夫だからねって言おうと思って。じゃ、」

こんなこと書いてるなんてわかったらなんて言うかな? でも、ともくを小さいときから知ってる方々へのご報告と言うことで。近頃会話少ないから。十代の子はやはり難しい。親のほうが大変だって言うのがわかった。私は一人しか子供がいないが、この日が来るのはわかっていた。でもそれが私の具合の一番悪いときと重なったのですごくつらかった。誰もが通る道だ。反抗期は大人になる前に必ず通る道。これがないとうまく成長しないって言うしね。

今日も、私の独り言に付き合ってくれてありがとう。

Tuesday, November 13, 2007

ちょっと重い気分の日

テレビで、日本の漁師がイルカを捕獲し、その処理をしている。その海辺は血で赤く染まっている。そこへイルカを守る団体と名乗るアメリカ人たち45人がサーフボードに乗り、猟師たちに訴える。

「イルカを殺さないで、頭のいい動物なんだから」と英語で。

猟師たちは

「仕事だぞ、邪魔するな」

と、日本語で言いながら長い棒でサーファーたちをつつく。二組の意見がいつまでも平行線なのは、その言葉だけでなく、目を見ればわかる。言葉は通じなくても、話は通じている。

いつか他の番組で、やはり日本の漁師がイルカを殺すところを見せた。それはアメリカ人のカメラマン。彼は何年もイルカを守ることを訴え、ドキュメンタリーを作った。そこの漁師は終いには漁師を辞め、イルカを観光客に見せる、と言う仕事に変わった。ほっとした。

私はイルカが好きだ。嫌いな人なんかいるんだろうか。でもこれをアメリカで見ているとつらい。いくらここで暮らしていても、私は日本人だから。日本人だからは日本のことが悪く言われるとつらい。これはどの国でも同じじゃないかと思う。

気の弱い私は心の中で、

(じゃ、中国のサルの脳を生きたまま出すレストランはどうなるの?

(韓国の犬のレストランは?

(エスキモーたちは今もアシカとかとって食べるよ)

(牛肉は? 牛だって頭のいい動物よ。毎日、いっぱい殺されてるよ)

解決法が見つからない。苦し紛れにこう言うしかできない。挙句の果ては人間の罪深さを嘆く、いや欲深さと言ったほうがいいかも。

暗い話でごめんなさい。それでも付き合ってくれてありがとう。

Saturday, November 10, 2007

母のアメリカ、初体験

昨日は父の話だったので、今日は母の話をしたい。

私の両親はアメリカにきたことがない。父が来たいといっても、母が、うん、と言わなかった。父は一人で来る勇気がない。

今年の春、初めて母がアメリカに来た。81才。私の2回目のTMJ手術の前に来てくれた。手術まで2週間。母は何も言わなかったが実は時差ぼけになってたらしい。自分でも何がどうなってるのかわからなかったよう。人に心配させぬよう、そういうことは言わない人だ。そのころお昼過ぎになると散歩に出た。大体15分ぐらい。ところがその日15分を過ぎても帰ってこない。私は変なところだけ勘がいいので、すぐに(あっ、迷子になったな)とわかった。

ともくに近所を見てきてもらう。いない。30分位して白いバンが家に前にとまり、母が出てきた。さすがかあさんと思った。

「ハイスクール、ほらこの辺にハイスクールあるじゃない、誰もわかんないのよ。 英語で話してるのに、ほらハイスクール、って言ってるのに、英語よ」

言葉が通じない。(今日の晩ご飯はハンバーガーでもいいや)母はもう泊まる覚悟ができていたと言う。

でも言葉が通じないのに、車で帰ってきたのが不思議だった。母に聞くと、

「ほら、車のハンドルを回すようにしたから、私も同じくハンドル持つまねして、OKって、レッツラゴーってさ(古いジョークです、ごめんなさい)、車で探してくれるっていうんでしょ」

運良くか、偶然か、まぁ世の中に偶然はないという人もいるけど、とにかく前の晩、嫌がる母さん(ビリちゃは知らないけど)をビリちゃが買い物に連れて行ったとき、家の周りをドライブして、

「あのお、かあさん、これがともくの行ってるこぉこ(高校)です。そしてぇ、私たちのうちは、すぐそこヨ」

と見せたと言う。それで高校がわかれば、我が家もすぐわかる。だから、「ハイスクール」を連発したのにわかってくれない。一体なんとなっておるのか。英語だぞ! と母君は納得がいかなかったらしい。

話を聞いてみると、母はずっと一生懸命説明した、日本語で。私は、(負けた、君はすごい!)と心底思った。私が初めてアメリカにきたときは、少しは英語が話せた。でもいい振りがしたくて何も言えなかったと思う。それが、「イエス、ノー、サンキュー、バイ」しかわからない母が、車で帰ってくる。しかも意思の疎通が十分にできていた。

「ハイスクール」の発音が英語じゃない、とわかってくれるまで時間がかかったが、わかってから、しばらく一人で「high school」とつぶやいていた。「high school」だけは英語らしく聞こえるようになってる。

母を尊敬しなおした。

Friday, November 9, 2007

11月9日は父の誕生日

塀の向こう、何があるんだろう。

今日は父の誕生日。亡くなったのが109日。今年は十三回忌だった。

人は誕生日の近くに亡くなるというのをどこかで聞いたことがある。私の身の回りでは、祖母が3月生まれで3月に亡くなった。父は誕生日が119日で命日が109日。面白いのは父の一番上の兄だった、おじさんだ。彼は誕生日と命日が同じ日、314日、しかも同じ酉年。84歳だった。

こんな話はしたくないが、父と私は仲が悪かった。まるで敵同士。父はしらふの時は口数の少ない人で、背が185センチもあり怒ると大きい声を出すので怖かった。でも私はそんな父を怒らせて喜んでいた。ほら、私たちは敵同士だったから。私がまだ7才のころ、詳しくは覚えていないが父が私をすごく怒って、追いかけて叩こうとした。私はへらへら笑い、外へ逃げた。父が私をはだしで追いかけて来ようとしたとき、祖母が

「そんたちぃせ子,追っかけて、親の癖に,,,

と言われ、追いかけるのをやめたと言うことがあった。

父が大っ嫌いだった。友達が父親が好きなんていうと、驚いた。そんな父だったが、孫には優しかった。ともくも父のことが大好きだった。

そんな父ががんになった。わかったころにはもう手遅れで何の処置もできない状態だった。今後悔してるのは父に本当のことを言えなかったこと。

父はアル中だった。私はそう思っていた。手術の後飲めなくなった。飲んじゃいけなかったんだね。父は真剣に治りたいと思い、酒をやめたんだ。見ていたらかわいそうになった。生まれて初めての父への思いだった。

そこから私と父の敵同士の憎いという気持ちがなくなっていった。私は父にハンドパワーをした。初めは父も「そんたごと」と言って信じていなかった。父はカトリックを盲目的に信じてた。自分の兄が教会で働いていたので、母とけんかすると、「おめぇは天国さいげねや」と意地悪なことを言った。その父が毎日私が帰ってくるのを夜遅くても待っていた。


「これをすると痛みがすごく和らぐ。一日24時間のうち、1時間でも楽になるがら、ありがで(これはミスプリではありません、念のため、東北訛りなんです)」

こういうことがあって、私たちは精神的にぐっと近くなった。血のつながりってやはりすごいと思った。その父の亡くなるまでの2ヵ月半で私たちは40年以上の骨肉の争いを何の残りもなく終えた。父が今はあの世で、アル中を卒業して、平和に暮らしていると信じている。死んだら父に会いたい、会えると信じてる。

今日は少し重い話でしたが、付き合ってくれてありがとう。

Thursday, November 8, 2007

リウマチと私、エンブレル#9

ビリちゃの造ったガジボと風見鶏。我が家ではありません。

早いものでエンブレルをはじめてから9回がたった。アメリカでは一週間に一回、50ミリの自己注射をする。痛みが楽になっただけかと思ったら、次から次へといろんなことがある。

使い始めて二日目には、痛みがかなり楽になった話はしたが、私はそれで喜んでいたし、それ以上は望んでいなかった。ところが右手で右の耳をかけるようになった。その日は早速ビリちゃにやって見せた。そしてある日、朝起きて思いっきり伸びをしている自分に気がついた。こんなことはもう何年もしていなかったなぁって。気持ちよかった。

最近は頭も回ってきて、依然私の大好きだった空想ができるようになった。車で長時間乗ってるときもそれで楽しい。ごみを落としても泣かなくなった。落ち込むこともない。やりたいことが出てきた。本も読み始めてる。画期的なことだ。

50を過ぎても“改善”と言うか“成長”があるんだなと思った。生きてる限り前進あるのみ、かな。

Wednesday, November 7, 2007

アーカンソーでのおバカンス

ビリちゃの弟。Wiiをやってるんです。趣味の多い人で、つり、ゴルフ、自転車、といそがしい。アーカンソーに来ると、朝一番からビリちゃと釣りバカしてます。


ビリちゃの弟のガールフレンドと娘。できないと思ってた子供が十年たってできたんです。影で私たちは「誰の子供?」(もちろん冗談で)と。私の母が今年初めてアメリカに来たとき、この子に会って「かわいいね」といってた。オムツを取り替えるのをチラッと見て、一人で大笑い。「あっ、女の子だったのね」 そのせいか、それ以来ピンクの服ばかり。料理があまり、、と思ってたけどそうじゃなかった。ビスケットという南部のパンがある。おいしい。お母さんが焼いたのはカリカリしてて、それなりにおいしかった。彼女が焼いたのは、フランスパンのように、外が適度にカリカリ、中はふんわり。「エー、これが同じビスケット???」バターと蜂蜜をかけて食べる。うまかった。お母さんにはヒミツ。


今回はともくの親友たちも一緒。週末は必ずといっていいほど三人のうちのどこかで遊んでる。ここでは散歩したり、射的場に行ったり、体を動かして遊んでた。よしよし。いつもは部屋に閉じこもり、ゲームしかやってない。十代の反抗期なのでちょっと扱いにくい。挨拶も何もなかったが、来るたびに「いらっしゃい、今日は学校どうだった?楽しかった?」帰るときは「もう帰るの? また明日ね」初めは返事もなかったが、今はあっちから「ハーィ(来るとき)、バーィ(帰るとき)」と言うようになった。左の子は結構長い時間我が家にいるが、落としたものを拾ってくれたり、水をこぼすと拭いてくれたり、飲み物を冷蔵庫から持ってきてくれるまでになった。よしよし。

車中でこっそり話しているのが聞こえる。

「おれなんか、ダディと話してるときは、うんうん、あっそうか、はぁ、へぇーって相槌打ってるだけだよ。それで喜ぶんだよ」

聞いてないふりをしてたが、思わず噴出しそうになる。人のことだから笑えるんだよね。

私はいつも本を持って行ったりするが、何もできない。一日中食べて飲んでトイレ行ってテレビ見てるだけ。おバカンスの意味がわかるでしょ? 老後はここで暮らそうとビリちゃの姉妹と話してます。そうするつもりだけど、ボケないように気をつけようとも思ってます。

今日も独り言に付き合ってくれてありがと。

Thursday, November 1, 2007

エンブレルの効果

ビリちゃのお母さんの住んでいる、お隣の州、アーカンソーへ行ってきたときに写しました。青空がきれいだ。
「森と泉に、かーこーまれて、、、」という歌がありましたが、ちょっと古いけど、ここは木がいっぱいでこの木のすぐ向こうには大きい沼、というか湖があります。


エンブレルをはじめてから2ヶ月がたった。そのころ体中が痛くて、夜も寝ていられないほどだった。有難いことに注射して2日後に痛みが80%は引いていった。私は奇跡と叫んだ。いろんな薬をためしたが、すぐに効いたことはなく、この数年、痛みが増してからは薬が効いているかどうかもわからなかった。

私はそれだけで満足していたが、2ヶ月たった今、もっといろんなことができるようになった。右手で左の耳が触れるようになり、つい最近には右手で右耳を触れるようになった。まだ首には触れないが私はこれで満足だ。

私はリウマチになってから特に自己批判がひどくなり、それでは足りなくて“無実”の家族への批判もひどくなっていく一方だった。体がつらいと心まで疲れてくる。ちょっとしたことにも落ち込んだ。たとえば、ペンを落とす。拾えない。泣きたくなる。大した事じゃないのに、悔しい。小さいことまで人を頼らなければいけない。人生の終わりに見えた。

それが今そんなことじゃ泣かなくなった。やったね!とにかく、怒ると体が痛くなった。体の痛みがどんなに心と関係してるかがよくわかった。この感謝の気持ちを忘れないようにしたい。近頃すぐ忘れるので、こうして書いておくことも大切だ。

そうそう、この何年か片付けることができなかった。根気のある人なら少しずつ痛くてもやるんだろうけど私にはできなかった。やりたくても、正直な話、どうやっていいのかさっぱり見当がつかなかった。少しずつよくなってきたころ、

(この机の上を片付けたいなぁ、ここで何かしたい)

と、机を見てはため息をつき、どうしていいかわからなくて、いつものテレビの前に戻り、また思い起こして机のところに行き、ため息をつき戻ってくる。こんなことを何日も繰り返していると、ある日、

(あっ、そうだ、こうしよう!)

と、ピンとくる。普通の人なら考えなくてもできることなんだろうけど、今の私には画期的なことだった。これから掃除、洗濯、料理、片付け、と家事はいっぱいある。自分のやりたいふうにしたい。カメのようにのろいけど、またひとつずつ学んでいくんだな、と思うこのごろ。

きょうもつきあってくれてありがとう。