いらっしゃいませ、私のブログヘ

引越しします。

Saturday, November 10, 2007

母のアメリカ、初体験

昨日は父の話だったので、今日は母の話をしたい。

私の両親はアメリカにきたことがない。父が来たいといっても、母が、うん、と言わなかった。父は一人で来る勇気がない。

今年の春、初めて母がアメリカに来た。81才。私の2回目のTMJ手術の前に来てくれた。手術まで2週間。母は何も言わなかったが実は時差ぼけになってたらしい。自分でも何がどうなってるのかわからなかったよう。人に心配させぬよう、そういうことは言わない人だ。そのころお昼過ぎになると散歩に出た。大体15分ぐらい。ところがその日15分を過ぎても帰ってこない。私は変なところだけ勘がいいので、すぐに(あっ、迷子になったな)とわかった。

ともくに近所を見てきてもらう。いない。30分位して白いバンが家に前にとまり、母が出てきた。さすがかあさんと思った。

「ハイスクール、ほらこの辺にハイスクールあるじゃない、誰もわかんないのよ。 英語で話してるのに、ほらハイスクール、って言ってるのに、英語よ」

言葉が通じない。(今日の晩ご飯はハンバーガーでもいいや)母はもう泊まる覚悟ができていたと言う。

でも言葉が通じないのに、車で帰ってきたのが不思議だった。母に聞くと、

「ほら、車のハンドルを回すようにしたから、私も同じくハンドル持つまねして、OKって、レッツラゴーってさ(古いジョークです、ごめんなさい)、車で探してくれるっていうんでしょ」

運良くか、偶然か、まぁ世の中に偶然はないという人もいるけど、とにかく前の晩、嫌がる母さん(ビリちゃは知らないけど)をビリちゃが買い物に連れて行ったとき、家の周りをドライブして、

「あのお、かあさん、これがともくの行ってるこぉこ(高校)です。そしてぇ、私たちのうちは、すぐそこヨ」

と見せたと言う。それで高校がわかれば、我が家もすぐわかる。だから、「ハイスクール」を連発したのにわかってくれない。一体なんとなっておるのか。英語だぞ! と母君は納得がいかなかったらしい。

話を聞いてみると、母はずっと一生懸命説明した、日本語で。私は、(負けた、君はすごい!)と心底思った。私が初めてアメリカにきたときは、少しは英語が話せた。でもいい振りがしたくて何も言えなかったと思う。それが、「イエス、ノー、サンキュー、バイ」しかわからない母が、車で帰ってくる。しかも意思の疎通が十分にできていた。

「ハイスクール」の発音が英語じゃない、とわかってくれるまで時間がかかったが、わかってから、しばらく一人で「high school」とつぶやいていた。「high school」だけは英語らしく聞こえるようになってる。

母を尊敬しなおした。

No comments: